アメリカン・バレエ・シアター
「海賊」( Le Corsaire )


98年6月19日(金) 8:00PM〜
ニューヨーク、メトロポリタン・オペラ・ハウス
振付 = コンスタンティン・セルゲイエフ、原振付マリウス・プティパ
     ( Konstantin Sergeyev after Marius Petipa )
音楽 = アドルフ・アダン他(Adolphe Adam etc. )

メドーラ = ニーナ・アナニアシヴィリ( Nina Ananiashvili )
コンラッド = ジュゼッペ・ピコーネ( Giuseppe Picone )


 まず、配役の豪華さにびっくり。この夜、21人いるABTのプリンシパルのうち、7人も出演していた。まず、主役のアナニアシヴィリ、ビルバントにコレーラ、アリにカレーニョ、ギュルナール(Gulnare)にアシュリー・タトル、ランケンデム( Lankendem )にマラーホフ、セイド・パシャにマイケル・オーエン、ズルメア(パシャの正夫人?)にクリスチーヌ・ダンハム。(本当なら、これにもう一人キャスリーン・ムーアが加わるはずだった)

 ABTが今回上演した「海賊」は、ボストン・バレエが97年に上演したもので、ボストン版はセルゲイエフ版を基にしている。(ボストン・バレエは、ロシア以外の団体で「海賊」を上演した初めての団体となった、そうだ)
 これが、全幕物の新作候補を探していたABTの芸術監督、ミッキー・マッケンジーの目にとまり、ボストン・バレエの協力により、ABTでの上演が実現された。
 ステージビルによると、ボストン・バレエのステージングに際しては、芸術監督のアンナ・マリー・ホームズの恩師、ナタリア・ドゥディンスカヤ(故セルゲイエフ夫人)の大きな助けがあった。ドゥディンスカヤはワガノワの愛弟子で、そのワガノワはプティパ本人からメドーラを習った人。源流から受け継がれた水脈が海を渡って、アメリカ大陸で涌き出たんだなあ、と思うと感慨深いものがあった。
 ABTの初日のカーテンコールで、ドレスを着た女性が最後に出てきた。私はお顔を存知上げないのだが、彼女がアンナ・マリー・ホームズ女史なのだろう。

 さて、筋書きの方なのだが、(私は、これ以前に全幕で見たことがないので)本に載っている従来のストーリーと比べてみると、少しアレンジされている。
 まず、幕開きに海賊船は出てくるけれど、難破はしない。よって、コンラッドとメドーラの恋は、市場で始まる。メドーラは、奴隷商人の養女ではなく、最初から奴隷。三幕の「生ける花園」は、パシャの夢として描かれる。(ので、コンラッドの許から誘拐されたメドーラが楽しく踊っていても、問題はない) 海賊船の難破は、一同がパシャの宮殿から逃れた後にあり、最後は、海の中の岩にメドーラとコンラッドが、ぜいぜいしながら這い上がって、手を取り合うところで幕。(これって、他の仲間やアリは死んだってこと?)

 アナニアシヴィリは、本当に華やか。とにかく、一つ一つのポーズが、まぶしいほど。すべてに余裕と華やぎがあって、見事なメドーラだった。この夜も来ていた「花おじさん」もきっと満足したことでしょう。

 しかし、二幕パ・ド・トロワのフェッテに、わずかな異変が感じられた。
 彼女があの速度で回り出すと、いつもキラキラとした輝きを放つ(ような気がする)のだが、この夜は、4分の1を過ぎたところから、その輝きがなくなった。別に速度が遅くなったわけでもなし、バランスを崩したわけでもないのだが。一体、何が私にそう感じさせたのだろう。でも、沸き起こる拍手に励まされるように、半分あたりから回復。また、彼女は燦然とした光輝に包まれた。(一緒に見ていた友人、マダムNもそう思ったらしい。)

 そして、殊勲賞もののコンラッド役のピコーネ。長身の彼が跳躍する度に、ため息と感嘆が場内に沸き起こっていた。とにかく、華麗!! 空中で開脚したまま、降りてこないのではないか、と思わせるほどの長い滞空時間。それに、長い脚が見事にうつくしい。長身の人があそこまで高くきれいに跳ぶとこうなるのか、ショック状態の私はしばし呆然。

 また、彼にはすごい存在感もあった。反抗する手下をこらしめるシーンなどは、海賊の首領の凄みを感じさせ、彼等が再び心服するのに何の無理も感じさせない。(ピコーネのパフォーマンスは、NYタイムズやアメリカのダンスマガジンでも、高い評価を受けていた)

 従来のパ・ド・トロワにあるコンラッドのソロは、そこから外れて少し後に挿入されていた。そこでも、パ・ド・トロワ(主にアナニアシヴィリ/カレーニョ)をしのぐ程の出来だった。

 もちろん、カレーニョのアリも負けてはいない。パ・ド・トロワ以外は使い走りで、ちょこまか走るだけなので、思いきり踊ったという感じだった。回転もきれいだし、ポーズのきめ方も洗練されている。そのせいか、ちょっとお上品な奴隷だったが。

 ビルバントのコレーラは、あのかわいい顔のせいか、役柄に合っていない気がした。髭も似合わない。裏切り者のいやらしさ、ずるさという表現は、彼には課題かも。回転はやはり楽しそうに回っていた。

 ギュルナールのタトル。この人は本当にテクニックがある人だ。きっちりきっちり完璧に踊っているという感じ。一幕のパ・デスクラーヴ・パ・ド・ドウでまず感心し、「生ける花園」でまた感心した。難を言えば、地味なこと。もったいない。

 一幕の幕開きで、赤い衣装に身を包んだマラーホフをアイデンティファイするのに、私は数秒かかった。軽くカールさせた髪、(洒落じゃないけど)カールおじさんのような髭。(うっそーっ!という感じでした・・・) 忙しそうに値段交渉するマラーホフは、チンピラ風の抜け目ない商人。誘拐されたり、足蹴にされたりと、普段のイメージを180度覆えして、彼の芸の幅を感じさせてくれた。

 そうして観客の目をあざむいておいて、パ・ド・ドウでは、ため息をつかせるんだから・・・。
 感心したのは、パ・ド・ドウで、ランケンデムが横にジャンプして、ストンと深く膝を曲げて(グラン・プリエというのでしょうか?)着地するところ。マラーホフのそれは、まるで羽根が落ちてきたように軽かった。彼の見事さは、次の日に同じ踊りをしたキース・ロバーツを見て、再確認できた。

 ギュルナールのベールをくるくる取っていくところも、おもしろい振付だ。日本の時代劇によくある、悪代官が娘をくるくる回しながら帯を解いていく場面に似ていて。

 脇役と無視できなかったのが、三人のオダリスクのパ・ド・トロワ。これも気合いが入っていて、見事だった。ソリストのサンドラ・ブラウンが他の二人(コール・ドのジリアン・マーフィとオクサナ・コノベエーワ)を引っぱるかと思いきや、最も難しいパートを踊ったのはマーフィ。彼女のピルエットは本当に素晴しく、観客は大興奮。三人が踊り終わって、次の曲が始まっても、随分長い間拍手がなりやまなかった。拍手し続けていた私は、「先に進まないで」と祈るような気持ちだったが、きっと他の人達も同じ思いだったことでしょう。本当に、もっと拍手をしてあげたいぐらいの出来映えだった。(オクサナ・コノベエーワは、7月15日付で、ソリストに昇格した)

 非常に楽しめる作品だった。主役以外のダンサーにも活躍の場が多くあり、見所がたくさんあったためだろうか。

 ピコーネの活躍は、本当に衝撃的だった。彼は半年ほど前にイングリッシュ・ナショナル・バレエから移籍してきたばっかりだったので、私を含め、多くの人にはほとんど未知のダンサーだった。パンフレットや街頭のポスターには、カレーニョのアリの写真がこれでもかこれでもかと使われていたので、知らず知らずのうちに、「海賊」はカレーニョのアリを見にいくのだ、と洗脳されていたのかもしれない。けれど、幕が開いてみると、アリに劣らぬくらいのコンラッドがいたわけです。いや、アナニアシヴィリのメドーラでさえ、彼女が有名な分、ピコーネの与えた衝撃には負けたかもしれない。カーテンコールでは、アナニアシヴィリの方から顔を寄せていって、ピコーネに熱烈な祝福のキスをしていた。(結構珍しいかも)

 あの夜、私が見た演目は、「メドーラ」でも「アリ」でもなく、間違いなく「海賊」だったと実感している。



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