シュツットガルト・バレエ
「ロミオとジュリエット」( Romeo and Juliet )


98年7月7日(火) 7:00 PM 〜
ニューヨーク、ニューヨーク・ステイト・シアター
振付 = ジョン・クランコ( John Cranko )
音楽 = セルゲイ・プロコフィエフ( Serge Prokofiev )

ジュリエット = イゾルト・レンドヴァイ( Yseult Lendvai )
ロミオ = ウラジーミル・マラーホフ( Vladimir Malakhov )

 私は今までマクミラン版しか見たことがなかったので、期待に胸躍らせて会場に向かったのだが、今回初めて目にしたクランコ版は、非常に魅力的だった。マクミラン版に負けず劣らず演劇的要素が濃厚で、舞台には様々な工夫がこらされ、本当に感動的な舞台だった。
(尚、今までこの作品をご覧になった方には、舞台セット等の説明がくだくだしいので、適当に読み飛ばしてください)

 舞台の中央よりやや奥に、橋が架けられており(結構高い。男性の身長の1.5〜2倍ぐらいかな)、これがおもしろい使われ方をしていた。町のセットの時は大した使われ方はしないものの、この橋はジュリエットのバルコニー、キャピュレット家霊廟の通路として使われていた。セットのデザインは、衣装ともどもユルゲン・ローゼ。ドイツ人は機能的なモノを作る名人だが、この橋を見ると、そのことが再確認できる。

 一幕。幕が開くと、前面をマントでぴっちりと隠した男が一人たたずんでいる。マントを開いて顔をあらわにすると、それは明るい笑顔をたたえたロミオ。マラーホフのロミオは、ここではまだあどけなさの残る少年。30歳の彼に、全く違和感がない。

 市場の群舞はマクミラン版より人数も少なく、踊る時間も短い。ここに限らず、すべてコンパクトだし、セットも比較的シンプル。かといって、寂しい感じがなく、にぎやかな雰囲気は味わえる。

 ジュリエットの部屋の場面では、ジュリエットが乳母の背中におんぶお化けのように飛びつくところがあったが、あれは少々下品。「いくら子供っぽいといっても、深窓の令嬢がこんなことするかあ?」と、思ってしまった。
 キャピュレット夫人のマリシア・ハイデは、非常にうつくしかった。存在感という意味でも、主役のジュリエットを凌いでいる。どうしてあんなにきれいなんだろう、と思わず見惚れる。
  
 舞踏会。参加者たちは、衣装から手に持つクッションまで、すべて黒と金で統一されていて、重厚な感じ。ジュリエットはここで初めてパリスに引き合わされるのだが、パリス役のローラント・フォーゲルにノーブルな雰囲気がなく、ちょっと残念だった。
 ロミオとジュリエットの一目惚れのシーンは、マクミラン版の方が印象的だと思う。今回のは、あまり記憶に残っていない。
 パリスをそっちのけで、ジュリエットとロミオが踊り、一同に注目されるところでは、マキューショとベンヴォリオが大活躍。片方が上手から出たと思ったら、もう片方が下手から顔を出し、二人で客たちを右に左にと翻弄する。舞台を見ている観客の目も、それにつられて右往左往するので、本当に二人の若者にごまかされた気分を味わった。ここ以外でも、集団の動かし方が素晴しい。
  
 そして、感涙もののバルコニー・シーン。
 バルコニーは、例の橋。階段が地面(舞台)に降りているのではなく、中央付近で客席側に張り出した踊り場のようなスペースのみ。その踊り場が、ちょこっと下がっているだけ。舞台には、人の胸くらいの高さのある大きな台が置かれ、その上に立って初めて頭がすれすれ踊り場に届くかな、といった具合のセット。(ああ、説明が下手…) とにかく、よっぽどの根性がないとジュリエットの部屋に到達できないような構造になっている。まあ、防犯上、こちらのほうが理にかなっていますね。マクミラン版では、ジュリエットが階段を駆け降りるが、クランコ版ではロミオの方が障害をのりこえて、ジュリエットをバルコニーから抱き降ろす。下の台にひらりと跳び上がる時(これが結構ハードそうなのだ)、マラーホフは危うく失敗しかけ、落ちなかったものの、脚を打って痛そうだった。

 二人が踊るパ・ド・ドゥは、極めてうつくしい。流動感あふれる踊りは、恋人たちの浮き立った気持ちを見事に表わしていて、本当に素晴しかった。

 パ・ド・ドゥの後休む暇もなく、ロミオはジュリエットを持ち上げて、台の上に上げ、更に台の上から、彼女を頭上高く持ち上げて踊り場に座らせる。更に更に、自分は踊り場の柵につかまって、何回も懸垂しながらキスをし続ける。そして、その高さからバーンと舞台に飛び落ちて、マントをはためかせながら、幸福そうな表情で走り去るという無茶苦茶しんどいことをします。とても正気の沙汰とは思えない。でも、この驚くべき振付(演出)が、運命の恋に落ちた若者の熱情と一途さをあますところなく伝えているんだなあ、と思い至る。

 今回は、バルコニー・シーンでは泣くまいと心に決めていたが(?)、あまりの美しさのため、やはり目が潤んでしまった。

 幕が降りた途端、私の隣に座っていた中年の女性が、感動のあまり奇声を上げたので、びっくり。女子高生じゃなくてもシャウトするのか、こっちの人は。けれど、明るくなってみると、彼女はしおしおと涙をティッシュでふいていて、同じく泣いていた私の友人にもティッシュをくれた。実は親切な人だったのね。(しかし、ハンカチを持っていないところが、アメリカ人だなあ) 非常に興奮して、「彼は最高よ!!」と、力説している彼女と、私たちはすっかり意気投合。ほかにも、涙している人達が大勢いました。

 二幕。群衆の踊りも、ロミオたちがジュリエットの手紙を持ってきた乳母をからかうところも、短めで私には見やすい。クランコ版は、結婚行列の代りにカーニバル、マンドリン・ダンスの代りに道化師たちの踊りになっており、これがなかなかの見物だった。笛の音の浮かれた感じが、お祭りの雰囲気に合っていて、私はこっちの方が好き。

 フローレンス神父は、どくろと薬草の籠を持って登場。これによって、神父が科学に興味を持ち、何らかの実験を行っていることが示され、三幕の仮死の薬の伏線となっている。マクミラン版では、薬が必要になった段階で、とってつけたように神父が薬を持って登場するが、クランコ版の方が流れの中では自然だと思う。

 そして、市場での悲劇のシーン。この場の始まりに、ティボルトが一人で剣をふりかざしながら市場に走りこんできて、ちょっとこれは解せない。何で怒ってるの?という感じ。
 止めても止めても収まらない喧嘩に、マラーホフの泣きそうな顔が悲痛だ。
 マキューショを演ったのは、ポーランド出身のソリスト、Krzyszof Novogrodzki。(よ…読めない) 彼は、本当にすばらしいマキューショだった。一癖あるような独特の風貌に加えて、芸達者。

 マキューショの死が確認されるや否や、ベンヴォリオと市場の群衆が彼の死体を囲むように、さあっと舞台右端に固まる。まるで磁石に反応する蹉鉄のよう。この集団の動かし方が絶妙。舞台には、右端の団子状態の群衆と左端のロミオ、ロミオの斜め上で階段にたたずむティボルトというシンプルな構図になる。すっきりとした三者の配置は、群衆を冷ややかに見下ろすティボルトの悪漢ぶりと、ロミオの狼狽をクローズアップすると同時に、うずくまった集団が一斉に怨嗟の表現をすることで、そのエネルギーが増幅され、とてつもなく深い嘆きの表現となっていた。
 その輪の中に入り一緒に嘆こうとするロミオは、仇を取ってこいと弾き跳ばされる。剣を握ったロミオは、激してティボルトに挑みかかっては、次の瞬間ためらってひるむという行動を繰り返す。堪忍袋の緒が切れて、ティボルトを殺すまで押して押して押しまくるのも良いですが、ジュリエットへの愛ゆえの自制と友を殺された怒りとが錯綜する、こちらの表現も捨て難い。
 
 キャピュレット夫人の嘆きのシーンはすごい迫力。ジゼルのマッド・シーンのように結った髪を解き乱し、身体をかきむしるように衣装を破り裂いて、鬼気せまるものがあった。まさに「奥方様、ご乱心」の態。ティボルトの死体にすがりついたまま、一緒に担架に乗って袖に消えるまで、舞台は狂気に支配されているようだった。

 三幕。新妻を腕枕するロミオは、目覚めてもすぐに起きず、彼女の長い髪を指にからませたりして、動きがたい風情。甘やかだが切ない空気が漂う。

 つづくパ・ド・ドゥも、本当にうつくしい。レンドヴァイとマラーホフの踊りの素晴しさは、たとえ千の言葉を尽くしても、私には表現しきれない。
 マクミラン版は、別れの辛さを激しい振付で表現しているが、クランコ版は激しいリフトがあるものの、もっとしっとりとしていて、悲しみを強調しているように思えた。

 レンドヴァイの魅力は、ここにきて最高潮。一幕に比べ、格段に美しく見えた。薬を手に入れる前後の煩悶の演技も上っ面ではなく、真実味がある。「これですべてうまくいくわ」という風に微笑を浮かべた後、意を決して薬を飲むところは印象的だった。

 キャピュレット家の墓所で、葬列は例の橋の上を下手から進んできて、中央で止まり、そこで台に載せられたジュリエットの仮死体を舞台上に降ろす。橋の一部がぱかっと開き、そこから台の四隅にくくられたロープで降ろしているように見えたけれど、機械仕掛けでしょうね、きっと。

 葬列が去った後、マントをひるがえしながらロミオが駆けつける。が、彼がいるところは橋の上。橋と舞台をつなぐ物がないので、どうやって舞台に降りるのかと思っていたら、何とマントを使って、器用に舞台に降りてきてしまった。これには、さすがに場内がどよめいていた。

 パリスを殺した後、マクミラン版にはあるジュリエットの仮死体と踊るシーンはなく(マラーホフは、あそこがとってもいいのに・・・くすん)、ロミオは毒薬ではなく剣で自殺。最後の力を振り絞って寝台に上がり、三幕の幕開きと同じようにジュリエットを腕枕して、彼女の髪を弄びながら息絶えてしまう。

 その直後に蘇生するジュリエットが、添い寝しているロミオが死んでいることを知らずに、喜んで抱きつくところはあまりにも哀しい。また、かわいそうなパリスの死体の側にもしばし座し、「ああ、みんな不幸になってしまった」というようにうなだれる彼女の姿は、今回の悲劇を一身に受け止めているようで、いとおしい。側に行って、肩を抱いて慰めてあげたいような気持ちが、自然と沸き起こった。

 最後の盛り上がりは、マクミラン版の方が勝っていると思うが、やはり、涙なくしては見られませんでした。



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