ティナ・ルブラン( Tina LeBlanc )
クリスティン・ロング( Kristin Long )
カティータ・ワルド( Katita Waldo )
パッリッシュ・メイナール( Parrish Maynard )
クリストファー・ストウェル( Christopher Stowell )
あまり記憶に残らず。振付も踊りも、良いのか悪いのかよく分からない。
題名はとりあえず訳したものの、内容を見て「なるほど」と膝を打つようなことはなかった。
女性の衣装が変っていて、クラシックチュチュの襞付きスカートの代わりにCDを胴にはめたようなもの。土星の輪が、離れず星本体にくっついているような衣装だった。
ピーター・ブランデンホフ( Peter Brandenhoff )
Chidozie Nzerem
題名から、一抹の不安を抱えながら見た。すると、やはり不安的中。非日本人が作った「日本的なもの」は、日本人から見たら怪しげなものであることが多い。
幕が開くと二人の男性ダンサーが立っている。二人とも上半身は裸、エンジの袴。腰に扇子をさし、一見足袋のように見える白い靴下(?)。
音楽は全然日本らしさを追求しておらず、ペルーの音楽のよう。
しかし、踊りは悪くなかった。よく訓練されて、この作品を自分たちのものにしているという印象を受けた。
二人が向かい合って扇子を打ち下ろし、剣道のような動きを見せたり、二人のきびきびした所作、袴さばきが武士を思わせる。
観客は、こっちがびっくりするくらいの大喜び。私は踊り以外のものに気を回しすぎたのか。
でも、なんであれが「ショーグン」なんだ?(タイトルをつける前に、もうちょっと単語の意味を勉強していただきたい)
クラウディア・アルフィエリ( Claudia Alfieri )
ゲンナディ・ネドヴィグイン( Guennadi Nedviguine )
ヴァネッサ・ザホリアン( Vanessa Zahorian )
女性は2番目のソロを踊った方が良かった。
ネドヴィグイン(読み方が違っているかもしれません)は、高いきれいなジャンプを跳んでいた。
ユーリ・ポーソホフ( Yuri Possokhov )
この作品は素晴らしかった。
音楽は、ヘンデルのオペラ「リナルド」より前奏曲とアリア「 Lascia ch'io pinga 」の2曲を使っている。
幕が開くと、白い仮面をつけた男が片足を伸ばして(?)、舞台にはりつくようにしゃがんでいる。まるで、熱帯の猿のようだ。ポーソホフの動きは、指先までとても細やかで美しい。一つ一つのポーズも見事に完成されている。
前奏曲が終わって次のアリアが始まるまで、しばらくの間音楽が無くなるが、私は白けることなく彼の動きを追うことができた。あの長い無音状態で空気を変えずにアリアまでつなげるのは、難しいことなのではないだろうか。
後半は清澄な女声のアリアにのって、さらに伸びやか。大げさな言い方だが、何だか心が洗われるような清々しい気分を味わった。
ポーソホフは、途中で何度も手を使わずに仮面を着脱するのだが、それが鮮やかでマジックを見ているようだった。紐などが見えないので顔に貼りつけているのかと思ったら、しかるべき時に仮面がパッとひとりでにはがれ、また舞台に置かれた仮面にポーソホフが顔を近づけると、仮面が吸い込まれるように彼の顔にはりつく。これらは、観客を大いに驚かせたのだが、友人のマダムNは、仮面の裏側に突起があって口でくわえているのではと言う。私もそれしかないと思うが、口が塞がったままで踊るって大変そう。
ヤン・ヤン・タン( Yuan Yuan Tan )
ワディム・ソロマーハ( Vadim Solomakha )
タンのしなやかに表情豊かに動く腕は、絶品。あれこそ、「歌う腕」と私は言いたい。また、スパッという音が聞こえそうな185度開脚も、観客の度肝を抜いていたようだ。悪女というには可愛らしすぎる素顔を持つ彼女も、誘惑者としての演技は健闘していたと思う。
ただし、コーダはあまり良い出来と思えなかった。まず、フェッテで前半に無理にダブルを入れたために、軸がずれだし、後半は不安定になった。頭がブラーンと外側を回り、しかも身体に無様に遅れてついていく。見ている方も苦しかった。32回転の最後も少しはしょったみたいだ。他にも、ピルエットがきれいにきまらず、ソロマーハが慌てて右足を大きく踏み出してサポートする場面もあった。フェッテの途中からコーダの終わりまで、彼女は焦っているように見えた。
観客は大喝采でブラボーの声は飛んでいたけれど、タン自身は、少し残念そうな表情。
ソロマーハは良かったと思う。ヴァリアシオンも素晴らしかったし、サポートも丁寧だった。この人も跳躍が美しくきまっていた。サンフランシスコの男性陣は、跳躍がお得意のようだ。
イヴリン・シスネロス( Evelyn Cisneros )
デイヴィッド・パーマー( David Palmer )
これもなかなか良かったと思う。
音楽はギターを主に使い、踊りとともに情熱的な感じ。二人とも余裕が感じられ、安心して見ていられた。
タイトルの Two Bits だが、意味がはっきりしない。辞書を調べると bit には、「小片」「少し」「刃」などたくさんの意味があるのだが、その中から一番適当な訳語は、「12.5セント」ではないかと思う。昔アメリカの諸地方で流通していたスペイン(もしくはメキシコ)硬貨のことを米口語でこう呼び、two bits はつまり25セントを意味する。女性ダンサーの髪飾りや二人の衣装が赤と黒でスペイン風だったのと、アメリカでは25セントというのはわりと重要な単位なのでこう謎解きした。けれど、踊りからお金やコインを思わせるものは何もなかったので、やはり完全に納得できない。念の為、アメリカ人の知人に尋ねてみたが、彼女も two bits と聞いて特に連想するものはないとのことだった。
ルシア・ラカッラ( Lucia Lacarra )
シリル・ピエール( Cyril Pierre )
感動的な美しさだった。
今まで、哀感漂うオデット、高貴なオデット、動物としての白鳥を思わせるオデットと様々なオデットを見てきたが、ラカッラのオデットは「清らか〜」という印象。宝石でいうと水晶か。彼女の腕の繊細さと柔らかさ。また首から肩、腕、指先へと続くラインの美しさは特筆もの。
その触ったら壊れそうなオデットを、大切に大切にサポートするピエールも好印象。彼の王子は、悲しい身の上を嘆くオデットに眉を寄せて共に嘆き、彼女の美しさに感動するあまり手も唇も震えんばかりに見える。このパ・ド・ドゥで、王子にも目がひきつけられたのは、マラーホフ以来のこと。(そんなに見ていないけれど)
二人のパ・ド・ドゥは、常に澱み無く流れる渓谷の清流のようだった。
ムリエル・マッフル( Muriel Maffre )
ベンジャミン・ピアース( Benjamin Pierce )
マッフルもパイアスもとても良かったと思う。
この作品は、2年前にNYCBのを見たのだが、こんなに良い作品だったのかと今更ながら思う。当時は、抽象バレエが退屈に思えたのだが、今回は二人のダンサーの身体が造っていく形のおもしろさ、音楽と振付の関係を大いに楽しむことができた。(私も成長したのね)
とはいうものの、二人のどこがどうだと的確に言うことができないので、まだまだ勉強が必要なのだ。
ジョアンナ・バーマン( Joanna Berman )
ユーリ・ポーソホフ( Yuri Possokhov )
チューダーの「葉は色あせて」を思わせる詩情あふれる作品。曲は、メンデルスゾーンのピアノ協奏曲第二番ニ短調よりアダージオ。
流れるような二人のデュエットが、非常にうつくしい。また、随所に難技がちりばめられているが、二人とも易々とこなしているように見受けられた。
この夜、二回目の登場となったポーソホフは本当に見事だった。
もしも私がダンサーだったら、一度踊ってみたいと思うほど気に入ってしまった作品。
ティナ・ルブラン( Tina LeBlanc )
ロマン・ライキン( Roman Rykine )
まずまず。
ルブランのフェッテは特に技巧的なことはしていなかったものの、十分きれい。
ライキンも、ソロで魅力を力一杯アピールしていた。
今までの作品に登場していなかったソリストやコール・ド・バレエによる豪華なデフィレ。と言いたいところだが、この作品をするには舞台が狭すぎたようだ。見ていて窮屈な感じがした。
オープニング・ナイトとあって、オーケストラ席やグランド・ティアはブラック・タイとイブニングドレスで埋め尽くされ、華やか。
玄関ホールでは、開幕前と閉幕後にジャフィとマラーホフの姿も見えた。