第八回 アメリカでの出産(ドキュメント・入院編)



2.車椅子にて病室へ


 午前9時30分
 ホーリーネーム( Holy Name )病院到着。

 ここでちょっと病院について説明させて頂く。妊娠中の検診は永門先生のオフィスがある助産院で受けるのだが、私は分娩は先生の提携しているこの病院ですることにした。
 全くの自然分娩だったら助産院で出産もできるのだが、私は麻酔を使う無痛分娩でニコニコしながら赤ちゃんを産む予定だったので、病院で出産することにしたのだった。(病院も2ヶ所選択肢があった)
 大きな病院の産科に初めからかかる人もいるが、普段は産婦人科医や助産婦の診療所で検診を受け、出産は彼らの提携する病院の設備とスタッフを使ってするというシステムは、アメリカではよくあるらしい。(というか、こっちの方が多いのかな)


 病院見学の際におしえられた緊急入り口( Emergency Room )前で車を降りる。
 約束の時間より、15分も早く着いてしまった。
 出産の際、麻酔を使う可能性の高いアメリカでは、一度病院内に入ってしまうとお産が済むまで水も飲ませてもらえないので(かき氷だけOK)、ドアの前でバナナとコーヒーを食べる(しつこい)。
 晩まで飲まず食わずで闘うことになるかもしれないと思ったからだが、傍から見ると、異様な光景だったかも・・・。

 「さあ、入るぞ。いいな」
 「うん」
 さあ、これからここで外から隔絶されて大変なことを成し遂げなくちゃいけないんだ、と思うと病院の緊急入り口が禅寺の山門に思えた。ご飯も生まれるまでご法度だし・・・。(だから、しつこい)

 異界に入るような気分で中に足を踏み入れ、受け付けで名前を告げ、保険証を提示する。
 予め、私のデータはコンピューターに登録されているので、住所とか保険の情報とかを長々書きこんだり言ったりする必要はない。

 数分のちに車椅子がやってきた。
 入退院の際は、車椅子で移動するのだ。ちゃんと聞いたわけではないのだが、病院内でのことはすべて病院側に責任があるかららしい。転んでケガとか異常分娩とかになったら、病院の責任になるということかしら?
 ちなみに車椅子を押す人は、ボランティアの人。

 カタカタカタと進む私の載った車椅子の後に、荷物を持った夫と母が続く。
 名前からして分かるが、ここはキリスト教系の病院なので、あちらこちらにイエス様とかマリア様が「ようこそ〜」と腕を広げていらっしゃる。(注:患者やスタッフはキリスト教徒でなくてもよい)

 この期に及んでも、陣痛はまだそれほどのものではない。
 車椅子を押してくれているボランティアのおばあさんの手前、ちょっと頭を傾げて辛そうなそぶりをする。(だって申し訳ないんだもの)

 そうこうするうちに、産科の入り口が見えてきた。
 ここは新生児誘拐防止のために、電子ロックで施錠がされている。つまり内部にあるナースセンターにインターホンで身元を告げて開けてもらうか、スタッフとともに入るしか、侵入する手だてはないのだ。
 ちなみに、生まれた後すぐ新生児はもれなく足にセンサーをつけられるのだが、何者かが赤ちゃんを隠してこのドアを出ようとすると、ブザーが鳴るしかけになっている。つまり、ここから赤ちゃんは万引きできないわけ。

 「ブー」さあ、ドアが開きました。いよいよ産科の中。
 産科棟は中心にナースセンターがあり、その周りをぐるりと病室や新生児集中治療室が囲んでいる。
 車椅子は右折。
 「ちっ!」私は心の中で舌打ちした。左側の病室だったら、マンハッタンの景色が見えたのに・・・。
 たった2泊3日の入院とはいえ、朝な夕なにあの美しい摩天楼群を眺望できる方がいいに決まっている。
 ひそかに悔しがっている私を先頭に、一同病室に着く。ここは全室個室で、部屋の中もホテルのような綺麗さ。
 実は、分娩もここでするのだ。


午前9時45分ごろ
 私達が病室に着くや否や、看護婦たちがわらわら入ってきて準備を始める。
 私のお腹の周りに分娩監視装置(?)を巻きながら、ある看護婦が、
 「How do you feel?」
と、きいてきた。

 この質問は、妊娠してから非常によくされた質問だ。
 「予定日」と「性別」とこの「How do you feel?」の質問は、知人からだけでなく、レストランで隣り合わせただけの人からも、実によく聞かれた。アメリカで、「妊婦に質問する三大事項」なのではないかと、私は確信している。(まあ、日本でもそうだろうが)
 最初のうちは、妊娠したことに対する感想をきかれているのかと思っていたが、実は体調のことをきかれているのだ。答えとしては、「I feel good.」とか「I feel sick.」とか答える。
 私はつわりもあまりひどくなく、妊婦にありがちな腰痛やむくみもなかったので、いつも「I feel good.」と答えていた。

 それで、この看護婦にこの同じ質問をされた時、たまたま陣痛が来ていなくて穏やかな心地の時だったので、自動的に、
 「I feel good.」
と答えてしまった。
 そうすると、その看護婦はハハハと笑って、
 「じゃあ、なんでここ(病院)にいるわけ?」
と言った。
 彼女のその一言で、その場にいた一同はワハハハと笑った。
 私も、「陣痛が来て入院しているのに、こんなになごやかな雰囲気でいいんだろうか?」と思いながらも大受けしてしまった。


3.麻酔が間に合わないわ!

 午前10時ごろ
 「あら〜、早かったのね〜」
 永門先生がにこやかに入室。すでに青い手術着のようないでたち。

 ここで少し私がお世話になった永門洋子先生のことをご紹介しよう。
 永門先生は、日本での修学・病院勤務を経て渡米、エール大学大学院で看護修士号を取得し、日米で助産婦のライセンスを持つ人である。

 アメリカで助産婦になるには、4年制の看護大学を卒業した後、さらに2年間大学院で産婦人科教育を受け、修士号を取らなければならず、大変な道のリである。そのため、産婦人科検診から薬の処方、会陰切開から縫合まで一人でできるのだ。(ただし、帝王切開など異常分娩になったら、産婦人科医とチームを組む)
 私は特に問題がなかったので、初診から産後検診まで産婦人科医と会うことはなかった。

 永門先生自身は、大らかで明るく、花にたとえるとひまわりのような人だ。
 夜中だろうが日曜祝日だろうが、お産が始まればすぐ臨戦態勢にならなければならず、完璧なオフなどない激務だが、永門先生はいつも仕事に対して自分の全てを投入している。それでいて、ささいなことでも気安く相談できる親しみ易さがあり、私は終始リラックスして妊娠生活を送り、出産することができた。良い先生にめぐり会えたと心から喜んでいる。


 この辺りは、とにかく周りでいろんな人が準備しており、ちょっとはしょる。(私も血圧計られたり、点滴されたりと色々あって細かいことを覚えていない)

 そうこうするうちに、ある看護婦がベッドに近づいてきて、
 「Hi, I'm Joyce.」
と自己紹介した。
 彼女は、今日私の担当となり、助産婦のサポートをする看護婦である。見ると、他の看護婦はいなくなっていた。
 部屋には、永門先生とジョイス、夫と母、それに分娩監視装置をつけた私だけ。

 何枚かの書類にサインしたりと様々なペーパー・ワークの後、
 「へその緒を寄付してくださいますか?」
とジョイスに聞かれる。さい帯血が白血病などの治療に使えることは知っていたので、すぐ了承する。赤ちゃんが生まれてしまえばもう必要でなくなるものが、病気で苦しむ人のために再度役立つなら嬉しいことだ。
 アメリカでは、将来本人や家族が血液の病気になった時に治療に使うため、「新生児のへその緒を永年冷凍保存します」というビジネスもある。

 「えっと、割礼はしないんだったわね」
と、永門先生が確認。
 「しません」
 超音波検査で胎児は男の子だと分かった時に割礼をしないと言ってはいたが、再度確認されたのだ。
 アメリカではユダヤ教徒でなくても男の子が生まれると割礼をするケースが多く、割礼をしていないと学校でからかわれることもあるらしい。これは聞いた話なので、一体どれぐらいの割合で男の新生児が割礼されるのか私は知らない。
 ともかく、そういう風習のない日本に帰る私達には関係のないことだ。(息子はアメリカ人でもあるわけだけど)

 さて、諸々の準備も終わり、いよいよ内診。
 途端、永門先生の顔つきが変わった。
 「9センチ開いてる。赤ちゃん、そこまで来てるわ
 「え〜〜〜〜〜!!」
思わず、私も声を上げる。子宮口が9センチ開いているということは、もうすぐ生まれるということだ。お産のクライマックスになりつつあるということだ。私はこんなに平静なのに?? 地獄絵図になるハズではないのか??
 「Nine.」
永門先生は傍らのジョイスにも告げる。彼女も「Oh!」という表情。


 ここでご存知ない方のために少し説明させて頂くが、子宮口というものはお産の時、最大10センチ開く。10センチあると赤ちゃんの頭が通れるわけだ。
 赤ちゃんが生まれ出るには、次の3つの要素が必要になってくる。

 1、子宮の収縮。これは子宮が胎児を外に押し出そうとする働きで、厳密にいう陣痛がこれ。
 2、子宮口の開き。0センチから最大10センチまで開く。
 3、胎児自身が子宮〜母体外へと出てくること。

 普通これらは凄く痛くて、必ずしも連動していない。つまり、陣痛が始まったからといって、子宮口もぐわわ〜んと開くわけではなく、別々に起こるようだ。
 私の場合、早々と子宮口が何の痛みもなく3センチ開いていたのは、後7センチ開けばいいという意味において、ラッキーだったわけ。

 ちょっと、話がそれるが、アメリカでは長さの単位がインチやフィートなのだが、子宮口に関してはセンチメーターを使う。(だから、永門先生はジョイスに9センチと伝えたのだ)
 私のアメリカ人の知り合いも、お産の時に子宮口が10センチ開くというのは知っていたが、10センチというのがどのぐらいの長さなのか想像できないらしい。
 ちなみに、ことごとく世界と違う単位を使うアメリカだが、こと医療分野では世界標準にそっている。
 液体の薬は、一回分をオンスではなくミリリットルで量るし、新生児用の処置台の設定温度も華氏(°F)ではなく、摂氏(℃)だった。(やればできるということだよ、アメリカ君!!)


 さて、驚く私に、永門先生は運命の宣告をした。
 「悪いけど、麻酔、間に合わないわ。『自然』でいきましょう
 「え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!」
 私は、いっぺんに奈落の底に突き落とされたのだった。

 無痛分娩で産む予定だったので、一番辛い痛みからは逃れられると高を括っていた私は、覚悟というか気合というか、そういうものが全く欠如していたのである。つまりヘラヘラしていたのであった。

 それに、呼吸法の勉強とか安産のための体操とかも億劫がって何もしていなかったのだ。(だって、必要ないと思っていたんだもん・・・・)
 日本の友人たちの安産のためのアドヴァイスも、「いーの、いーの。私は無痛分娩するんだから」と聞き流していた私。
 「後悔先に立たず」、「後のまつり」、「油断大敵」・・・それらはすべて私のための言葉だ。

 「まだ、いきんじゃダメよ! すぐ準備するからね!」
 永門先生もジョイスも消毒済みの器具キットを開封したりと、慌しく動き出す。
 入院直後の準備が終わったと思ったら、今度は赤ちゃんが出てくるための準備を始める彼女たち。

 「どうしよう。どうしよう」
と、うろたえる私は救いを求めるように、ベッド脇に立ち尽くす夫と母に視線を送った。
 一緒に診察に通い、無痛分娩のことを理解し、加えて私の出産に対するお気楽さをつぶさに知っている夫は、中途半端な笑みを浮かべるだけだった。もしかしたら、「がんばれ」ぐらい言っていたかもしれない。(どちらにしろ、私の狼狽ぶりを一番よく察していたのではないだろうか)
 硬膜外麻酔のことについて勉強しているはずもない母は、(日本では当たり前の)自然分娩になったからといって、どうして私がこんなに騒いでいるのか解せないようだった。そして、「ここまできたら産むしかないわよ」と慰めにもならない言葉をかけてきた。

 この時の私には、本当に慰めにならなかった。そして、本当にこのまま産むしかないのが現実なのだった。


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