第九回 アメリカでの出産(ドキュメント・出産編)



4.生まれたよ〜


 午前10時30分ごろ
 入院して約45分後、お産が大詰めを迎えた。

 さてここで、「麻酔が間に合わなかった・・・」と私が嘆く理由を分かってもらうために、硬膜外麻酔による無痛分娩について簡単に説明させて頂く。

 この方法は、麻酔科医によって硬膜外腔に麻酔薬を注入するもので、経験者によると麻酔をした後は本当に痛くなくなるらしい。会陰縫合の後まで、麻酔薬のチューブは体の中に入っているので、お産が長引いたからといって、途中で追加する必要もない。
 麻酔薬は血液に入るわけではないので、昔あった眠ったまま赤ちゃんが生まれてくるスリーピング・ベイビーにはならない。
 また、友人によると痛みはないのに赤ちゃんが出てくる感覚はあるらしいので、「産んだ実感がわかない」ということもないそうだ。でも、これは麻酔科医の技量にもよるようで、「産んだ感覚が全くなかった」「多少は痛かった」と言う別の知人もいる。
 良いことはまだあって、出産による疲労も少ないから、産後の回復も早いということだ。(何せ、こちらは産後1泊とか2泊で退院ですからね)
 私の住んでいる地域では、7割の妊婦がこの方法で産むらしく、最もポピュラーな出産法になっている。


 では、なぜ私は麻酔ができなかったのか?
 実は、この麻酔を注入するタイミングとしては、通常は子宮口4〜5センチ開いた時なのだが、その時すでに点滴を2本入れ終えていなければならない。
 初産の場合、お産はゆっくり進み、子宮口がやっと4〜5センチ開いた時には麻酔を入れる条件がそろっているわけだ。
 私は入院直後にもう既に9センチだったので、麻酔をするには遅すぎたのだった。
 無痛分娩した友人たちが口をそろえて、「楽だった〜」と言うのを聞くにつれ、いまだに悔しがっている私である。


 ところで、日本は医療が発達しているのに、どうして無痛分娩が少ないのだろう。私の友人に無痛分娩ができる病院を必死に探したけど、家から遠過ぎて断念した人もいる。
 「お産は辛くて当然」という意識が、いまだに強いのかなあ・・・。確かに、人類がアウストラロピテクスだった時から赤ちゃんは自然に生まれるものだけど、「痛かったら痛くないようにしましょう」という考えのアメリカとは大きな隔たりがあるようだ。
 アメリカの事情を見る限り、安全性に問題があるからとも思えないし。(もっとも日米では麻酔科医の数が違うようだが) 麻酔してお産をしたくない人はしなければいいわけで、やりたい人がいる限り、日本でももっと無痛分娩できる病院が増えるといいなと思う。



 説明が長くなってしまった・・・。
 「もう読むの止めようかな」と思い始めているアナタ。いよいよ、これからクライマックスです。

 人工破膜のあと、子宮口は最大10センチになった。
 「さあ、もういきんでもいいわよ!」
 準備が整って、永門先生は「さあ、来い!」という感じ。非常に頼もしいのだが、肝心の私は、
 「あの〜、『いきむ』ってどうするんですか?」
 と間抜けたことを質問している。
 普通は、子宮口が全開するまでいきみたいのを我慢し、いきんでいい段階に来たら「おっしゃー!」という感じになるようだ。私はそのいきみたい感覚が全くなかったので、どうするのかさっぱり分からない。

 ここまで一般的には半日かかるので、朝方に陣痛が始まった私は、単純計算して「いきむのは午後ね」と悠長にかまえていたからである。
 だから、「いきなり『いきめ』と言われても〜」という状態だったのだ。

 とりあえず「こうかな?」とトライしてみる。
 すると、
 「そうじゃない」
 と、永門先生。呼吸の仕方、力のこめ方などを指導されるが、なかなかうまくいかない。
 しばらく「ウーン、ウーン」といきんでいるうちに、すっかりくたびれてしまった。まだ、数回しかがんばっていないのに。

 そうこうするうちに、陣痛が強くなってきた。やっぱり波があって陣痛が来ている間は、「イテテテ」という感じ。
 陣痛が起こっているということは、子宮が収縮しているということで、その時に母体も腹圧をかけて(つまりいきんで)胎児が出てくるのを助けるわけだ。
 これが辛い。ただでさえ痛い所に、自分で一生懸命力をこめるわけで、やけどに自ら湯をかけるようなものである。

 陣痛が来ていない時は、ぐったりしてベッドに身を横たえる。
 (ああ、6時半の時点で入院しましょうと言われた時、素直に入院していれば良かった。そうしたら無痛で産めたのに・・・)
 ほとんど辛い思いをせずに、この最終段階にきてしまった私は、文字通り「完璧な無痛」で産めたハズだった。
 その時の私は、完全試合達成を目前に単純なミスをして果たせなかったピッチャーのような気分だったのだ。
 辛いこともあって、クタっとなっている私を励ますように、
 「とても安産ですよ。ほんと素晴らしいわよ」
と、永門先生はすでに勝利宣言。

 そして本当に本当に本当に辛い段階がやってきた。
 赤ちゃんがいよいよ出てくる時である。

 病院見学で新生児たちをガラス越しに見た時、「冗談でしょう」と思った。
 前にも書いたがここは産後2泊で赤ちゃんとともに退院である。
 故に、彼らは昨日かおとといに産まれた赤ちゃんなわけで、ほぼ出生時の大きさ。つまりあのサイズが出てくるわけだ。

 あの時「ハッキリ言ってこれは無理な話よ」と心の中で人事のように思った私だったが、こう辛いと「やっぱり無理だったんだ〜」と変に納得してしまう。
 「私にはできません」と宣言してしまいたいが、既に永門先生は気迫の人となっていて、「さあ、陣痛が来ましたよ! 深呼吸して〜! せ〜のっ!」という風にリズムをつけてくれている。そんなことを言おうものなら、一喝されそうだ。(ちなみに、この先生のリズムつけはとっても良かった)

 それからほどなく、永門先生が確信に満ちて言った。
 「あと10回いきんだら産まれますよ」

 「あと・・・じゅっ・・くぅわ・・い???」
 私は砕けそうだった。あと10回も更にいきまないと赤ちゃんが出てこないのか・・・。
 (注:1回のいきみには、ハァーーーーーーと深呼吸して、フゥーーーーーーーンククククと腹圧をかける二つのプロセスがあり、これを陣痛の波に合わせて行う)
 私のしんどさが想像できない方は、精魂尽き果てて地面に伏しているのに今からすぐ富士山に登れと言われている人の心境を想像してほしい。
 ところで、これは後から夫が言ったことだが、この時、彼は心の中で「なんだ、あと10回で出てくるのか」と思ったそうだ。
 このセリフをリアルタイムで聞いていたら、私は間違いなく彼にベッドサイドの電話を投げつけていた。

午前11時4分
 結局、10回+アルファいきんだ後(もちろん私は数える余裕などなかった)、赤ちゃん誕生!

 赤ちゃんは最初頭が出て、次に片方の手、続いてもう片方の手が出る。私の記憶が正しければ、そこまで自力で出たら、あとは引き出してもらえる。その瞬間は、「スコーン」というか「スポーン」という感じ。(二つとも似ているけど)
 赤ちゃんは管で鼻や口の羊水を吸引してもらって、「ぶぎゃ〜」という産声を初めて上げる。肺に空気が入り、身体がみるみるうちにピンク色に。

 「さあ、お母さんに」
 すぐに、私の腕の中に赤ちゃんが渡される。
 新生児を抱いた私の第一印象は、
 「こんなに動くんだ!」
だった。初めて見た息子は、泣きながら手をしゃかしゃか犬掻きのように動かしていた。

 この時私が彼を抱いたのは一瞬だけで、必要な処置を施されるために息子はまた私の手を離れる。

 次にする事は、へその緒を切ること。アメリカでは、新生児の父親がへその緒を切らせてもらえる。
 永門先生によると、日本人の夫は辞退する人が結構いるらしいが、常々「自分も出産したい」と言っていた私の夫はとても楽しみにしていた。(お産も、代われるものなら代わってあげたかった・・・)
 赤ちゃんは母親と繋がっているへその緒を切られて、完全に一つの個体として独立するわけだから、それを父親が手伝うのはある意味において象徴的だ。

 「ダンナさん、ここ切って、ここ」
 私からは見えなかったが、永門先生の指示でどうやら夫がへその緒切りをしているようだ。
 よくTVで日本の出産シーンを見ると、立ち会っている夫も青い滅菌服(?)や帽子を身につけているが、へその緒を切った私の夫は普段着だった。横で見ていた母も。いいのかしらん?(ちなみに、永門先生から「汚れるかもしれないから背広ネクタイで来るのはよしてね」と言われていた)

 計量の結果、息子は身長20インチ(約50センチ)体重7ポンド2オンス(約3240グラム)だった。まあ、平均的な新生児のサイズらしい。

 私の方はまだグタッと身を横たえていたが、後産(子宮の中ではがれた胎盤が出てくること)もすぐにあり、峠は越えたらしい。
 私の寝ているベッドは、専用の分娩台ではなく、これから私が入院中ずっと寝泊りするのにも使うベッドなので、看護婦たちがシーツ類などすべて取り替えてくれる。(お産の時は、もちろんそれ用に防水のものなどを使っているのだろう)
 私は「右に寄れ、次は左だ」と指示されているとはいうものの、ずっとベッドの上にいたままなのに、看護婦たちはとても手際よく作業し、瞬く間に、何事もなかったかのような清潔で乾いたベッドになっていた。すごい!
 ちなみに、このベッドはフラットからV字にまで自在にスイッチ一つで動かせるので、とっても便利。(家に持って帰りたかった)

 新生児は出生後ある時間がたつと非常に深い眠りに落ちてしまうらしいので、その前に初の授乳をする。(まだ母乳は出ないのだが、「これは大事なことなのよ」と永門先生)

 その後、私はお昼ご飯にありついた。きっと昼抜きで陣痛と戦うのだろうと思っていたので、ランチタイムに間に合ったのはとてもうれしかった。


5.初めての入院生活


 2泊3日の入院中、もちろん食事は病院から出されるのだが、メニューの豊富さにびっくり! ずら〜と並ぶ料理から、サラダはこれメインはこれデザートは・・・という風に選んで、ホテルのルーム・サービスのようにチェックしていくのだ。
 ちなみに、この病院はケーキ・バイキングが平日だけだがあって、3時ごろにケーキ満載のワゴンが病室を回ってきた。(アメリカのケーキなので、お味はご愛嬌だが)
 ケーキ・バイキングは病人ではない産婦だけのサービスかもしれないが、食事は「医師による食事制限がある人はそれに従いなさい」なる文言がメニューに書いてあったので、かなりの数の入院患者が自分の意思で食べたいものを決めているのかも。

 
 さて入院中の新生児だが、この病院では新生児室にあずけてもいいし、自分たちの部屋に置いておいてもいいことになっていた。
 もちろん、これはとてもフレキシブルで、「ちょっと寝たいのでお願いします」と新生児室に預けに行ったり、また顔が見たいと引き取ったり、好きなようにしていい。

 新生児室から出る時は、赤ちゃんは新生児用ワゴンに載せられる。このワゴンには「○時に授乳、○時にオムツ替え」などと書かれた記録と、新しいオムツや産着・ブランケット・人口乳など赤ちゃん備品が装備されている。自分たちの部屋ではこのワゴンから赤ちゃんを出してもいいけれど、廊下を行く時は絶対にワゴンに乗せたままにするというルールになっていた。

 私達は、とりあえず産んだ日は休むために新生児室に預かってもらって、翌日から自分たちの部屋に息子を置いておいた。新生児の生態に早く慣れるためだ。
 自分たちの部屋に置いている時は、当然オムツ替えや授乳は自分たちでする。しかし、数時間おきに看護婦がやってきて、体温を計ったり聴診器をあててくれたりするので、放っておかれるわけではない。
 母体にも同じような数時間おきのチェックがあり、夜中でも看護婦が私の血圧とかを計りにきていたようだ。

 お産が軽かった私は、産後もとても元気だったので、何人もの看護婦から「あなたは本当に出産したのか?」と問われた。
 私は日本人としては小柄ではないが、こちらではやはり小さい。加えて、アメリカ人の妊婦はすごく巨大になるケースがままあるので、どうも違和感があったようだ。
 入院中はノーメイクで髪をお下げにしていたから、ある時など、年配の看護婦に「あなた・・・そんなに若くして子供産んで・・・」と説教されかかった。私は決して童顔ではないが、やはりアジア人は幼く見えるようで、そんな姿だと子供のように見えたらしい。


 さて、このように私は元気なのだが、初めて接する新生児には夫婦ともあたふた。
 息子は病院の名前が刺繍されたブルーの帽子をかぶり(女の子はピンク色)、ブランケットでぐるぐる巻きにされて、横向きに寝かされている。ギュッとぐるぐる巻きにするのは、新生児に胎内にいる頃を思い出させ、安心させるためだとか。おまけに、新米親にとっては抱き易い。
 横向きに寝かせるのは、お乳を吐いても窒息しないから。アメリカでは今はこの寝かせ方が主流らしい。私は退院後もかなりの期間、この寝かせ方をしていた。

 3時間ごとにオムツを替え、授乳するのだが、夜中が辛い。
 目覚ましをかけて、一連の作業を朦朧としながら行うのだが、同じ病室に寝泊りしてくれている夫はあまり役に立たない。男性と女性では眠りのパターンが違っていて、女性はこの作業をこなす為に、眠りが数時間おきに浅くなるのだとか。
 この間も、ひどい風邪をひいた息子が真夜中に横のベッドから「お母さん、おハナ、取って〜」とか細く言っただけでパッと目が覚める自分に驚いたが、反対に、夫は息子が大泣きしても全く目が覚めない。

 新生児の身体は鶏ガラのよう。ちょっとしたことでボキッと折れてしまいそうなので、手足を触るのも恐々だ。「赤子の手をひねるように簡単」とはよく言ったものだと感心する。
 これは私の感想だが、新生児はまだ人間の赤ちゃんという感じではない。
 手指の動かし方なんかSF映画のエイリアンのようだし、(あれは絶対新生児をモデルにしていると思う)、泣き声も「オギャー」というより野獣の咆哮みたい。(う、ひどい母親)
 人間もやっぱり動物の一種なんだ、と強く感じてしまった。

 ところで、新生児には毎日病院の小児科医の回診があった。
 最後の日に診てくれた若い男性医師は、赤ちゃんの扱いが下手で息子を大泣きさせた揚句、外したオムツも戻さ(せ?)ないで「後はよろしく」とスタコラ去っていってしまった・・・。


 日本と違ってシャワーの許可もすぐ出る。私も入院中に洗髪したのを覚えているので、産んだ翌日かその次の日にはシャワーを使ったはずだ。


 ご飯は上げ膳据え膳で、すぐ近くに医師や看護婦がいてくれて、好きな音楽をかけながら、快適な入院生活を楽しんでいた私だが、退院の日はあっという間に来てしまった。

 病室には、薬品やら衛生用品やら人口乳やら搾乳機やら、様々なメーカーからお土産(試供品?)が置かれており、「リネン類以外は全部持って帰っていいわよ」と言われていたので有り難く頂戴する。(結構な荷物!) 中でも小型の防水シートは非常にすぐれもので、今だに最後の1枚を大事に使っている。

 夫が荷物を車に積みこみに行っている間、私は息子の着がえをする。家から持ってきたベビー服を着せながら、生後二日目(生まれた日は0日)の彼を眺めると、いかにもか弱く見える。
 こんな弱々しいものを素人(母の育児体験はもう錆びついている)しかいない家に連れて帰っていいものだろうか、と思うと、にわかに絶望的な気持ちに襲われた。


 やがて、入院した時と同様に車椅子が病室にやってきた。
 ベビー服の上におくるみを巻いた息子を抱いて車椅子に乗ると、私達は木のぬくもりのある美しい病室を後にした。
 ナース・ステーションの横を通るけれど、「お元気で〜」という雰囲気ではなく、ちょっと寂しい。

 玄関に夫が車を停めて、初めてカーシート(日本名:チャイルド・シート)に赤ん坊を乗せるのだが、これがなかなか難しい。タオルなどをあてがうのだが、それでも身体が小さ過ぎて、うまくシートにおさまらない。
 「あーでもない。こーでもない」と夫婦で試行錯誤を繰り返すけれど、(つきあわせるのは気の毒なので、車椅子を押してくれたボランティアの人には、中に入ってもらう)、結局「これでいいっか」とある程度で妥協して車を出す。


 家に帰って、母の出迎えを受ける。
 カーシート内で息子は、もはや丸虫のようになっていた。(それでも寝ているのだから、さすが新生児)
 夫と私の腕、それと息子の足首それぞれについているIDバンド、これは子供の誕生直後に赤ちゃんの取り違えのないようにつけられるものだが、これを夫がはさみで切ってくれる。(はっきり覚えていないが、息子のは病院で外されていたかもしれない)
 それを見ながら、「ああ、家に帰ってきた」と実感する。そして、これから始まる長い子育てのスタート・ラインに立っている、との思いを強くしたのだった。


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